ゴミ(ほぼ全人類宗教にハマっててウケる)

こんばんわっふ~~~い麺です。お久しぶりすぎる。

この頃は講義の出席やらレポートやらをぶち倒してその場をやり過ごすためだけの粗雑な文章しか書いていないから、文章力が非常に衰えている気がする。そういうわけで以前にも増して駄文だとは思いますが、暇を持てあまして仕方のないひと、どうぞお付き合いください。タイトルの通り、おまえら全員宗教にハマってんじゃん!!!という話をします。

 

当然のことながら感情や思考は目に見えないので私たちは日々他人の頭のなか心のなかを推測しながら生きているわけですが、何を手がかりに推測しているかと言われると、やっぱり真っ先にあがるのは言葉、そしてその次は態度なんじゃないかと思っています。例えば「好きだよ」と言われてああ、どうやらこの人間は私に好意を抱いてくれているらしいな……と理解し、抱きしめられてその好意を肌で実感する、みたいな。ありがちなやつ。あるいは、相手が己の損益を無視してこちらを利する行為をしてくれたときとか。

他にも、楽しい面白いという言葉と共に笑顔を向けられたり、怒りを伝えられながら睨まれたり、悲しいと言われてぽろぽろ泣かれたりと、私たちの日常は難易度低め(に感じられる)感情推測チャレンジに溢れており、そしてその推測たちは日常を成り立たせ円滑に回らせるのに一役買っていると思うんですが、でも実際その推測ってどれぐらい合ってるの……?となる瞬間、ありませんか。私はあります。趣味が悪いので。

言葉だって態度だって、それを発する人間の好きなように操れてしまうから、私たちの前に差し出されるそれらは諸々の思惑によって調整を受けたあとの姿をしている。全然信用ならなくない? 虚無ってても口角上げて声弾ませとけばきっと楽しそうに見えるし、私は今のところ嘘泣きスキル持ち合わせてないんだけど、テレビの中の子役とか見てると練習したら涙だって操れるんだろうなという感じがしてくる。全然好きじゃない人間に対して愛を囁いて抱きしめてあげることだって簡単にできる気がする。好きじゃないならそんなことする必要ないじゃんなどと思われるかもしれないけれど、他人を思惑通りに欺くことによって得られる快楽みたいなのもあると思うんですよね。あとこれはただのスーパー自分語りだけど、私は以前もツイートした通り漠然とした生きててご麺の感情から解放されたいがために趣味、というか自慰行為としての自己犠牲に没頭してしまうという最悪の性質を持っているから、極端な話、緊急時なんかに他人の身代わりとして己の命を捨てることだってできてしまうかもしれない。任意のエモい台詞吐きながらとかだと雰囲気あって良いな。そしたらきっとその人は私の行為に心を動かされ、同時に私がその人に対して並々ならぬクソデカ感情を抱いていたのだろうと推測するはずだ。私はただ己のための自慰行為に耽っていただけで、その人のことはどうでも良かったかもしれないのに。(こういうのだいぶ興奮します、分かる???)

何かごちゃごちゃ書き並べてしまったけれど、つまるところ、他人の言葉も態度もそのまま鵜呑みにするにはあまりに心もとなくないですか、というお話です。この人は素直だから嘘泣きとかするはずない……!みたいなやつ、それってあなたの感想ですよね。実際どうか分かんないじゃん。というわけで、他人の思考や感情を正確に知ることはどうやったって不可能です。

でも、それでも私たちは、他人の言葉や態度に依存した推測に従って行動の方針を決めたり、友愛や恋愛の感情を伝えあって関係性に名前をつけたりする。好きです、私も好きですという言葉を交わして、ついでにキスも交わして、それで恋人という立ち位置に我が物顔で居座っていたとしても、相手が本当に自分を愛しているかなんて知りようがないのに。すごくばかで愚かだと思う。他人を徹底的に疑って、自分に損を与えるか益を与えるかを見極めながら慎重に人間関係を切ったり築いたりするのが、傷ついたり裏切られたりするリスクの少ない賢い生き方でしょう。でもばかにならないと疲れちゃうときもある。割とみんなそうだと思う。ちなみに私は弱い人間なので、基本的に脳みそからっぽにしてばかでいないとやっていけないです。

さて、ここからクライマックスだからよく聞いて。私たちをばかでいさせてくれる優しい味方とは誰なのか?

それは他でもない、関係性に対する信仰心です!

【信仰】

(1)神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。

(2)特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと。

※出典:広辞苑

要するに、人間と人間との関係性はある種の宗教であり、この人は私に偽りの感情を向けない、この人は信頼できる、この人は私を愛している、といった諸々の教えをよりどころにしながら関わり合って、私たちはより深くその宗教に帰依していくわけです。すごいね! ほぼすべての人間が信仰とかいう不確かなものを軸に据えて不確かなものの輪郭を必死に掴もうとしているの、めっちゃ性癖です。ありがとうどんございます。人間ドえろくて最高!!!

 

というお話をずっとしたかった。やっと言語化できて満足です。文章の終わらせ方を忘れてしまったので、無理やり終わらせます。お付き合いくださった方、ありがとうどんございました~!

 

 

 

おまけ

本文書いてる途中にふわっと浮かんできたもうひとつの考えごと、ちゃんと言語化するのは麺倒だなと思っちゃったので半分メモみたいな感じでふわっと書き残しておきます。

「あなたがいちばんだ」「あなたしかいない」「あなたがいなきゃ始まらない」みたいな、相手を特別扱いするために発される言葉ってあるじゃないですか。本文でも書いた通りその言葉がどこまで本当かは分からないし、仮に本当だったとして、特定の人間の存在に依存してる組織はシステム構築がなってなさすぎだし組織じゃなく個人間の関係性だとしても不安定すぎるだろと思ってしまうんですが、まぁそれは置いておくとして、そういう特別扱いされている個人はどれぐらいの程度で代替不可能なのか?ということを考えてました。

例えばある企業から出ていこうとしている優秀な人材を引き留めるために「あなたがいなきゃ……」と口説く、なんてのはその人と同等かそれ以上に優秀な人材が見つかればあっという間に代替可能!解決~!となってしまうだろうけど、もっとでろでろに関係性を深めた個人間だったらどう? 顔と声と優しいところに惚れた相手に一卵性の双子がいて、その子も同じぐらい優しかったらどっちでもいいやと思えるんだろうか。何なら他に類を見ない特徴を持った相手のことを唯一無二の存在だと思っていたとしても、世界中探し回ったら同じ特徴を持った人間が見つかるかもしれない。

偏見かもしれないけど人間って思い出やら記憶やらを重視しがちなので、そういうときって共に日々を重ねた相手の方を特別視する可能性が高そうだなと思うんですが、かつて触れ合ったはずの肉体を捨てて電子の世界の住人になってしまった場合とか、あるいは全く同じ成分で構成された肉体に全く同じ記憶がインストールされた個体が奇跡的に製造されてしまった場合とか(スワンプマンで検索して!)、どうなるんですかね。ってとこまで考えて、きりがないのでやーめよ、となりました。寝ます。おやすみなさい。