ゴミ

おはようどん、麺です。

自分の中にもやもやと存在していたわだかまりを、今なら言語化できそうな気がしたので書いてる。今からする話はこんな気持ちのいい朝(というのは言葉のあやで、今私がいる部屋は気持ち良さとは程遠い感じの蒸し暑さに満ちてる)に似つかわしくないような内容です。もっと単刀直入に言うと、性的な話をします。なので苦手な人、今そんな気分じゃないよって人はブラウザバックしてね。

 

ツイートでも何度か言及したことがあるんだけど、私はいわゆるノンセクシュアルというやつなんですよね。恐らく。恐らくと書いたのはこれまでのこの乏しい恋愛経験や性経験だけで判断して良いのかという疑念があるからなんですが、まぁそれは置いておいて、他人に恋愛感情を抱くが性的欲求は抱かない、みたいなセクシュアリティなわけです。

それでもpixivR18に絞って検索かけることや興味のある映画を観るのと同じようなテンションでAVを観ること、小説を書くとき描写に意識的に官能性みたいなものを含ませてひとりでキャッキャすること、そういうのは普通にある。だいぶぶっちゃけてしまった気がするけど、ほんとに普通にある。昨日「ラブホにひとりで泊まりたい!」なんてとち狂ったツイートしたけどこれもラブホの雰囲気にめちゃくちゃ惹かれてるからだし。これらを性欲と呼ぶべきなのかはよく分からないけれど、少なくとも見ての通り性に関して完全に潔癖というわけではないんですよね。あ、ちなみにこれは完全に余談なんだけど食欲は「食べたい」という欲求のみを指すのに性欲には「セックスしたい」以外の性に関する欲求も含まれてるのおかしいよねって話をとある授業で聞いた。あれ何でなんだろうね、性的なこと=恥ずべきこと、隠すべきこと みたいな価値観があるから性的なものはまとめて性欲というベールで覆ってしまいたくなるのかな。

閑話休題、これが私の中のわだかまりの本質なんだけど、たまに特定の性的なものごとにどうしようもなく""""無理""""の感情を抱いてしまうことがある。なお私は自分自身が地雷みたいなところがあるため自己に関する性嫌悪がかなりはっきりとあって、その理由にも何となく心当たりがあるんだけど、話すと麺どくさいし別に話したくもないのでここではそれについては触れないことにします。「特定の性的なものごと」というのは私自身とは無関係に日常生活の中で普遍的に発生しうるようなものね。""""無理""""が発動するのは3次元でのできごとに対してだけで(私には性癖地雷というやつがないので2元あるいは妄想上の話に関しては本当に何でもいける、たぶんこれがお前超絶清純派なんて嘘だろ!!と言われる所以)しかも何に対して発動するのかは自分でも分からないので普通に生活してたはずなのに気づいたら地雷が爆発してました、みたいなことが起こってしまう。特に何に対して発動するのか分からないという部分、これがマジで不便。

ちょっと具体例を挙げると(実際にあったことを書き並べるのはあまりにもアレだからちょっと話を盛ったり詳細を変えたり妄想を混ぜたりするね)、知っている異性が「セックスしたい」と言っているのを聞いて悲しみ?と深い虚無がごちゃまぜになったような感情に襲われる、でもたぶんその人がTwitterで同じことを呟いていても何とも思わない、何ならその人が実際に誰かとセックスをしてその感想を報告してきたとしても、それが文面でのやり取りか音声でのやり取りかに関わらず笑って受け入れられる自信がある。ドンキのアダルトコーナーに並んでる大人の玩具がたまらなく怖くて直視できなくて、それなのに疑似精液ローションは普通に手に取れる、その紛い物感が面白いとさえ思う。ひとりだと平気でAVを観れるけど同性の友達とAVを観よう、という流れになったらそれがただの楽しいおふざけとしか呼べないようなノリによるものだったとしても逃げだしたくなってしまう。バスでひとつ前の席に陣取っているカップルの片方がほんの少し性的な含みを感じ取らせるような手つきでもう片方の首もとに腕を回した瞬間、息が詰まって反射的に目をそらしてしまう、「首筋を這う性的な含みをもたせた手つき」という概念自体はすごくすきで、それを実際に目の当たりにしたときだってちゃんと魅力を感じているはずなのに、目をそらしてしまう。Twitterに流れてくる、性欲丸出しのLINEDMのスクショを本気で気持ち悪いと思う。こんな感じ。

私は""""無理""""になったときの自分がすごく嫌だ。性癖地雷がなくって、それを特に隠さずに生きてるから「こいつは"イケる"人だ」と思わせてしまうことだってあるはずで、その期待を裏切ってしまうような申し訳なさがあるし、そもそも他人や他人の行為に対して否定的な感情を抱くこと自体すきじゃない。というか性癖地雷がないのに日常生活に潜む性的なものごとの中には地雷があります!!!ってわけがわかんなくてマジで気持ち悪い。そう思ってた。

それでね、さっき唐突に脳内言語化に成功したんだけど。「BLファンタジー」って言葉あるじゃないですか。私、性に関することぜんぶファンタジーだと思ってる。本家の「BLはファンタジーにはBLのご都合描写に対する批判が含まれてると思うんだけど私の言う「ファンタジー」にはそういう意味合いはなくって、非現実性・非日常性を伴うある種の芸術や娯楽作品みたいに感じてる、とでも言えば良いのかな。そんな感じなんですよ。

"天才と凡人についてとか、マトモな人間とマトモでない人間についてとか、そういうこと考えるのがだいすきだけど「自分」概念が地雷みたいなところあるから天才でも凡人でもマトモな人間でもマトモでない人間でもありたくない  ちょっとおイタな言い方すると世界の傍観者になりたいこれはちょっと前にしたツイートのコピペ。もしかしたら「性に関することぜんぶファンタジー」の根幹は「世界の傍観者になりたい」に通じているのかもしれない。

ラブホも夜の歓楽街もちょっぴり退廃的で幻想的なファンタジー舞台、誰かの性体験やAVは素敵なひとつの作品で、私はそれを鑑賞するひとりの客。たぶん、そういうふうに捉えてる。だから性的なものごとが急に「リアル」として目の前に現れた瞬間、私の世界が崩壊してしまいそうな予感がして無理になる。そういうことだ。

こういう理解の仕方が我ながらめちゃくちゃ腑に落ちて、でも同時にそれってつまり他人の性を作品として消費しながら生きてるってことだよな、それは褒められたことじゃない気がするな、という思いも湧いてくる。私はもう何も知らない子どもじゃなくって、大学生で、身の回りの性に関する話題やシチュエーションもどんどん増えてきて、人間だって生き物だからセックスして遺伝子を保存しようという欲求が備わっている個体が大半なわけで、そんな中でぜんぶファンタジーだと思い続けることはきっと不可能だろうし、酷く傲慢な考え方だよな。そう思って苦しくなってしまう。何となく社会に溶け込めていないような、社会から追い出されてしまっているような気分になる。要するに「生きづれぇな」の感覚。でもそのうちふっ切れてどうでも良くなるか、すっかり慣れてしまうかで社会の一員に擬態できるようになるんじゃないの、という楽観的な考えもある。

まぁ、別に鬱を吐き出したいわけでも誰かに理解や救いを求めてるわけでもないからここらへんで終わりにします。セクシュアリティも性に関する価値観も変えようと思って変えられるものじゃないから、「なるようになるさ」としか言えないんですよね。ずっとぼんやりと感じてたわだかまり言語化できただけでも大きな進歩だと思う。もしここまで読んでくれた人がいらっしゃったら、お付き合いいただいてありがとうどんございました。身も蓋もないような話をしてしまって申し訳ない。

いろいろと不便だなぁと思うけど今のセクシュアリティ今ある価値観の中でできる限り今を楽しみたいから、やっぱり目先の目標はラブホにひとりで泊まることですね。ファンタジー作品の聖地巡礼みたいな心持ちで。「ひとりでラブホなんか行って何するの」と言われたから「ドストエフスキーの本でも読もうかな」と答えて、我ながらめちゃくちゃ名案じゃんと思った。

ラブホでドストエフスキーを読みます。