ゴミ(ほぼ全人類宗教にハマっててウケる)

こんばんわっふ~~~い麺です。お久しぶりすぎる。

この頃は講義の出席やらレポートやらをぶち倒してその場をやり過ごすためだけの粗雑な文章しか書いていないから、文章力が非常に衰えている気がする。そういうわけで以前にも増して駄文だとは思いますが、暇を持てあまして仕方のないひと、どうぞお付き合いください。タイトルの通り、おまえら全員宗教にハマってんじゃん!!!という話をします。

 

当然のことながら感情や思考は目に見えないので私たちは日々他人の頭のなか心のなかを推測しながら生きているわけですが、何を手がかりに推測しているかと言われると、やっぱり真っ先にあがるのは言葉、そしてその次は態度なんじゃないかと思っています。例えば「好きだよ」と言われてああ、どうやらこの人間は私に好意を抱いてくれているらしいな……と理解し、抱きしめられてその好意を肌で実感する、みたいな。ありがちなやつ。あるいは、相手が己の損益を無視してこちらを利する行為をしてくれたときとか。

他にも、楽しい面白いという言葉と共に笑顔を向けられたり、怒りを伝えられながら睨まれたり、悲しいと言われてぽろぽろ泣かれたりと、私たちの日常は難易度低め(に感じられる)感情推測チャレンジに溢れており、そしてその推測たちは日常を成り立たせ円滑に回らせるのに一役買っていると思うんですが、でも実際その推測ってどれぐらい合ってるの……?となる瞬間、ありませんか。私はあります。趣味が悪いので。

言葉だって態度だって、それを発する人間の好きなように操れてしまうから、私たちの前に差し出されるそれらは諸々の思惑によって調整を受けたあとの姿をしている。全然信用ならなくない? 虚無ってても口角上げて声弾ませとけばきっと楽しそうに見えるし、私は今のところ嘘泣きスキル持ち合わせてないんだけど、テレビの中の子役とか見てると練習したら涙だって操れるんだろうなという感じがしてくる。全然好きじゃない人間に対して愛を囁いて抱きしめてあげることだって簡単にできる気がする。好きじゃないならそんなことする必要ないじゃんなどと思われるかもしれないけれど、他人を思惑通りに欺くことによって得られる快楽みたいなのもあると思うんですよね。あとこれはただのスーパー自分語りだけど、私は以前もツイートした通り漠然とした生きててご麺の感情から解放されたいがために趣味、というか自慰行為としての自己犠牲に没頭してしまうという最悪の性質を持っているから、極端な話、緊急時なんかに他人の身代わりとして己の命を捨てることだってできてしまうかもしれない。任意のエモい台詞吐きながらとかだと雰囲気あって良いな。そしたらきっとその人は私の行為に心を動かされ、同時に私がその人に対して並々ならぬクソデカ感情を抱いていたのだろうと推測するはずだ。私はただ己のための自慰行為に耽っていただけで、その人のことはどうでも良かったかもしれないのに。(こういうのだいぶ興奮します、分かる???)

何かごちゃごちゃ書き並べてしまったけれど、つまるところ、他人の言葉も態度もそのまま鵜呑みにするにはあまりに心もとなくないですか、というお話です。この人は素直だから嘘泣きとかするはずない……!みたいなやつ、それってあなたの感想ですよね。実際どうか分かんないじゃん。というわけで、他人の思考や感情を正確に知ることはどうやったって不可能です。

でも、それでも私たちは、他人の言葉や態度に依存した推測に従って行動の方針を決めたり、友愛や恋愛の感情を伝えあって関係性に名前をつけたりする。好きです、私も好きですという言葉を交わして、ついでにキスも交わして、それで恋人という立ち位置に我が物顔で居座っていたとしても、相手が本当に自分を愛しているかなんて知りようがないのに。すごくばかで愚かだと思う。他人を徹底的に疑って、自分に損を与えるか益を与えるかを見極めながら慎重に人間関係を切ったり築いたりするのが、傷ついたり裏切られたりするリスクの少ない賢い生き方でしょう。でもばかにならないと疲れちゃうときもある。割とみんなそうだと思う。ちなみに私は弱い人間なので、基本的に脳みそからっぽにしてばかでいないとやっていけないです。

さて、ここからクライマックスだからよく聞いて。私たちをばかでいさせてくれる優しい味方とは誰なのか?

それは他でもない、関係性に対する信仰心です!

【信仰】

(1)神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。

(2)特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと。

※出典:広辞苑

要するに、人間と人間との関係性はある種の宗教であり、この人は私に偽りの感情を向けない、この人は信頼できる、この人は私を愛している、といった諸々の教えをよりどころにしながら関わり合って、私たちはより深くその宗教に帰依していくわけです。すごいね! ほぼすべての人間が信仰とかいう不確かなものを軸に据えて不確かなものの輪郭を必死に掴もうとしているの、めっちゃ性癖です。ありがとうどんございます。人間ドえろくて最高!!!

 

というお話をずっとしたかった。やっと言語化できて満足です。文章の終わらせ方を忘れてしまったので、無理やり終わらせます。お付き合いくださった方、ありがとうどんございました~!

 

 

 

おまけ

本文書いてる途中にふわっと浮かんできたもうひとつの考えごと、ちゃんと言語化するのは麺倒だなと思っちゃったので半分メモみたいな感じでふわっと書き残しておきます。

「あなたがいちばんだ」「あなたしかいない」「あなたがいなきゃ始まらない」みたいな、相手を特別扱いするために発される言葉ってあるじゃないですか。本文でも書いた通りその言葉がどこまで本当かは分からないし、仮に本当だったとして、特定の人間の存在に依存してる組織はシステム構築がなってなさすぎだし組織じゃなく個人間の関係性だとしても不安定すぎるだろと思ってしまうんですが、まぁそれは置いておくとして、そういう特別扱いされている個人はどれぐらいの程度で代替不可能なのか?ということを考えてました。

例えばある企業から出ていこうとしている優秀な人材を引き留めるために「あなたがいなきゃ……」と口説く、なんてのはその人と同等かそれ以上に優秀な人材が見つかればあっという間に代替可能!解決~!となってしまうだろうけど、もっとでろでろに関係性を深めた個人間だったらどう? 顔と声と優しいところに惚れた相手に一卵性の双子がいて、その子も同じぐらい優しかったらどっちでもいいやと思えるんだろうか。何なら他に類を見ない特徴を持った相手のことを唯一無二の存在だと思っていたとしても、世界中探し回ったら同じ特徴を持った人間が見つかるかもしれない。

偏見かもしれないけど人間って思い出やら記憶やらを重視しがちなので、そういうときって共に日々を重ねた相手の方を特別視する可能性が高そうだなと思うんですが、かつて触れ合ったはずの肉体を捨てて電子の世界の住人になってしまった場合とか、あるいは全く同じ成分で構成された肉体に全く同じ記憶がインストールされた個体が奇跡的に製造されてしまった場合とか(スワンプマンで検索して!)、どうなるんですかね。ってとこまで考えて、きりがないのでやーめよ、となりました。寝ます。おやすみなさい。

ゴミ

9月のある晩。友達と通話をしていた。そんなに頻繁に関わるような相手じゃなかったから嬉しくて、だらだらと喋っていたら外が明るくなっていた。
 
その日は車校修了検定だった。
 
……バカ?
そして運の悪いことに受験番号は1、トップバッターだった。ろくに働かない脳みそとその割に冴えている意識を抱えて挑んだ検定、自分が何をしているのかよく分からないままに気がついたら終わっていて、本当に何が何だかさっぱりだったけれど「君の運転は精神状態が露骨に反映されていて云々……」という教官のアドバイスを聞きながら”””落ちた”””という感触だけをはっきりと掴んでいた。
 
ロビーに戻ってとりあえずTwitterを開き、マスクの下で自分の愚かさに笑いながらTLを追う。すると「おつかれ!」という声が飛んできて、振り返るとちょっとチャラめの黒マスクおじさんが立っていた。誰だこの人。ああそういえば私が運転してるとき後部座席に乗ってた気がする。麺類の愚かさ3倍濃縮!みたいな運転に付き合わせてしまってめちゃくちゃ申し訳ないな。とか何とか考えながら当たり障りのない世間話をしていたはずが、いつの間にか私たちはすっかり打ち解けていた。そう、ハイパー人見知りコミュ障であるはずの私は徹夜明け深夜テンションで饒舌になっていたのである!! そしておじさんのコミュ力トーク力も高かった。
 
「実は俺、美容師やっててさ」
 
仕事の話を始めるおじさん。あ~~だからこんなにコミュニケーション上手いんだなと納得する私。
 
「アパートの部屋借りてたったひとりでやってて」
 
「広告は一切出してないからお客さんは完全にこっちで選べて」
 
メインの客層は独立する前の店の常連さんだけど稀に気になった人に声をかけて引き込むこともあって」
 
「普通の美容院ってお客さんの目の前にあるのは鏡でしょ? でもうちは髪切りながらお客さんと一緒にアマプラで映画観てるんだよね」
 
「こんなだからお客さんとの距離も近くって」
 
「(めちゃめちゃオモロいお客さんの話)」
 
「(めちゃめちゃ珍しいお客さんの話)」
 
「(めちゃめちゃ狂ったお客さんの話)」
 
具体的な内容はここに書けない感じなので割愛するけれど、とにかく狂気と非日常をこよなく愛する私のハートを掴むにはじゅうぶんすぎるぐらいの内容だった。目をキラキラさせながら話を聞く私。
 
「良かったら君もうちの店に来てみない?」
 
悪魔の囁き。
気がついたら私はおじさんとLINEを交換していた。周りにいる若者たちから見たら、完全にチャラいおじさんにナンパされてホイホイついてく芋くさいバカ女子大生だったと思いますどうもありがとうございました。
 
「もしやっぱり行きたくないとか思ったら、そのときはブロックしてくれて良いから」
 
そう言い置いておじさんは去っていった。
 
検定には受かっていた。何で?
 
 
 ***
 
 
それから丸々1週間ほど悩んだ。
 
私は徹夜明けで正気を失っていた。おじさんは広告を出していないから美容院の口コミを調べることができないし、そもそも彼が本当に美容師なのかどうか確かめる術すらない。おじさんの店に行くということはつまりアパートの一室で知らん大人の男とふたりきりになるということで、何かあったら私はまず助からないだろう。でも私たちが出会ったのは自動車学校、おじさんの身元はその気になればすぐに暴くことができるし私がまだ(当時)18歳であることも話している。そんな状況でヤベーことできる奴がいたらそいつはきっと気狂いに違いない。もちろん何もされないのがいちばん望ましいけれど、気狂いの毒牙に掛かって狂気を浴びながら死ねるんだとしたらそれはちょっと悪くないかもしれない。おじさんはめちゃめちゃ怪しいしめちゃめちゃアブなそうだが、怪しくてアブないことってめちゃめちゃ面白そうじゃない!?
 
要するに、行かない理由なんてなかったのだ。何も起こらなければ私はハッピーな非日常空間に浸って好奇心を満たすことができるし、何か起きたとしてもとりあえず狂気という楽しいクスリをキメることはできる。
唯一確かなのは、私がバカだということ。愚かな行為なのは分かっているから、何かされそうになったらそのときは潔く諦めよう。せめて他人に迷惑をかけることだけは避けたいから、誰にも何にも泣きつかず「自己責任」で片づけよう。そう覚悟を決めて、おじさんにLINEを送った。
 
日程は簡単に決まった。誰かを巻き込むのも、心配かけるのも止められるのも嫌で誰にも相談はしなかった。それでも何となく記録を残しておきたいような気分になって、家を出る直前、止めてくる人間がいなさそうな極々小さいアカウントで今から怪しい美容室に行ってきますという旨のツイートをした。フォロワーはちょっと引いてた。
 
私はその日も、徹夜をしていた。正気を失った状態で仲良くなった人間との逢瀬、ちゃんと正気を失って行くのが礼儀だと思ったから。
 
 
 ***
 
 
おじさんとはアパートの下で待ち合わせをした。古くて薄暗いアパート。当たり障りのない挨拶をして、そのまま彼の根城へと案内される。正直かなり緊張していた。スタスタと歩いてエレベーターに乗り込むおじさんに慌ててくっついていって、あっという間に部屋の前。
おじさんが扉を開け放つ。
 
美容院の匂いがした。
 
私は安心した。先に中に入ったおじさんに続いて足を踏み入れると、ちょっとお洒落な一般住宅と美容室が生殖したらこんなのが生まれるんだろうな~みたいな空間が広がっていた。
 
「ちゃんと美容室でしょう」
 
おじさんが笑う。
 
「さて、天ぷら寿司中華麺類どれがいい?」
 
『え?』
 
「先に腹ごしらえしなきゃいけないでしょ。良いお店たくさん知ってるんだ」
 
なるほど。たっぷり食わせて丸々太らせたところでおいしく頂こうという魂胆か。
 
『麺類でお願いします』
 
私は即答した。アパートに荷物を置いて身軽になって、そのままおじさんとふたりで街に繰り出した。連れて行ってもらったお蕎麦屋さんは信じられないぐらい美味しかった。
 
 
 ***
 
 
しっかり肥えて戻ってきて、いよいよおじさんに身を任せるときが来た。せっかくだから髪型もぜんぶおまかせにした。ゴムで括られた私の髪をするりとほどきながら、おじさんは落ち着いてるのに軟骨ピアス開いてるのが良いだとかインナーカラーに意外性と遊び心があるだとか大人しそうなのに話してみると芯があるだとか言って私を褒めた。
 
こういう一筋縄ではいかなさそうなところに惹かれて声をかけたんだよ」
 
こんなに褒められることなんてなかったからどうしていいか分からなかったけれど、おじさんの声の中には下卑た含みがひとつも感じられなかったので私は安堵した。この頃にはもうおじさんを信頼しきっていた気がする。
 
さて、私の正面には、話に聞いていた通り鏡ではなく大きなテレビが鎮座していた。
 
「観たい映画ある?」
 
観たい映画……そうだ、ずっと気になっていたあの映画があるじゃないか。
 
 
『  ミ  ッ  ド  サ  マ  ー  』
 
 
チョキチョキ。
 
髪が切られる音。
 
肉がつぶれる音。
 
悲鳴。悲鳴。悲鳴。
 
目を輝かせる私。
 
そうか、こういう考え方もあるんだね。
 
呟くおじさん。そこから始まる私たちの死生観談義。
 
ひとしきり盛り上がって、また、悲鳴。
 
私が唾を呑み込む音。
 
おじさんが唾を呑み込む音。
 
パサリと床に落ちる髪の束、固まる空気。
 
時計の秒針の音がやけに大きく聞こえる。
 
……なぜ、私は知らない男とふたりきりで、男女のまぐわいを見守っているのか?
 
異様な空間だった。
異様な空気が流れていた。
 
知らなかったのだ、私は。ネタバレを避けていたから、狂いきった映画だということしか知らなかったのだ。確かに狂いきった映画だった、良い狂気だった、けれどまさか特殊性癖保持者選別用AVみたいな映像が流れ始めるとは思わないだろ!!!!!!!!
 
映画が終わっても、しばらくの間私たちは凍りついていた。少し経ってようやくおじさんが動き出して、コーヒーを淹れて持ってきてくれた。
異様な空気感から逃げるような気持ちでコップに口をつける。舌の上に広がる深い苦み。私はブラックコーヒーが好きだ。
 
『おいしいです』
 
「それ、クスリ入ってるよ」
 
『そうですか』
 
そのままもう一口飲む。おじさんはニヤリと笑った。
 
若い女の子がひとりでこんなところに来て、あんな映画を所望して。俺はそのコップの中に、いつでも媚薬や睡眠薬を入れられるんだよ。さっきの映画で、変な気を起こしたとしたら?」
 
『……ここに来ることを決めた時点で、それなりの覚悟はできてるので大丈夫です』
 
おじさんは呆気に取られた顔をした。
 
「正直なところ、君はたぶん来ないだろうと思ってたんだ」
 
LINEが来て驚いた、怖くなったらいつでも逃げられるように、エレベーターには自分が先に乗ったし部屋に入る前に中が見えるよう扉を大きく開けた、部屋の中にも先に入った。君は全く逃げようとしなかった。
完全に予想の上を行かれたね。そう付け足したおじさんは嬉しそうだった。
出会ったとき徹夜明けだったこと、今日も徹夜して来たことを伝えたらおじさんはもっと嬉しそうにした。コーヒーを飲み干しても私の身体は何ともなかった。
髪の仕上がりは良かった。派手過ぎないこの色が似合うと思って、と入れてくれたカーキを私はとても気に入った。
すっかり上機嫌になったおじさんは、その日のお会計を無料にしてくれた。
 
そして私はこの美容室に通うことに決めた。

ゴミ

おはようどん、麺です。

自分の中にもやもやと存在していたわだかまりを、今なら言語化できそうな気がしたので書いてる。今からする話はこんな気持ちのいい朝(というのは言葉のあやで、今私がいる部屋は気持ち良さとは程遠い感じの蒸し暑さに満ちてる)に似つかわしくないような内容です。もっと単刀直入に言うと、性的な話をします。なので苦手な人、今そんな気分じゃないよって人はブラウザバックしてね。

 

ツイートでも何度か言及したことがあるんだけど、私はいわゆるノンセクシュアルというやつなんですよね。恐らく。恐らくと書いたのはこれまでのこの乏しい恋愛経験や性経験だけで判断して良いのかという疑念があるからなんですが、まぁそれは置いておいて、他人に恋愛感情を抱くが性的欲求は抱かない、みたいなセクシュアリティなわけです。

それでもpixivR18に絞って検索かけることや興味のある映画を観るのと同じようなテンションでAVを観ること、小説を書くとき描写に意識的に官能性みたいなものを含ませてひとりでキャッキャすること、そういうのは普通にある。だいぶぶっちゃけてしまった気がするけど、ほんとに普通にある。昨日「ラブホにひとりで泊まりたい!」なんてとち狂ったツイートしたけどこれもラブホの雰囲気にめちゃくちゃ惹かれてるからだし。これらを性欲と呼ぶべきなのかはよく分からないけれど、少なくとも見ての通り性に関して完全に潔癖というわけではないんですよね。あ、ちなみにこれは完全に余談なんだけど食欲は「食べたい」という欲求のみを指すのに性欲には「セックスしたい」以外の性に関する欲求も含まれてるのおかしいよねって話をとある授業で聞いた。あれ何でなんだろうね、性的なこと=恥ずべきこと、隠すべきこと みたいな価値観があるから性的なものはまとめて性欲というベールで覆ってしまいたくなるのかな。

閑話休題、これが私の中のわだかまりの本質なんだけど、たまに特定の性的なものごとにどうしようもなく""""無理""""の感情を抱いてしまうことがある。なお私は自分自身が地雷みたいなところがあるため自己に関する性嫌悪がかなりはっきりとあって、その理由にも何となく心当たりがあるんだけど、話すと麺どくさいし別に話したくもないのでここではそれについては触れないことにします。「特定の性的なものごと」というのは私自身とは無関係に日常生活の中で普遍的に発生しうるようなものね。""""無理""""が発動するのは3次元でのできごとに対してだけで(私には性癖地雷というやつがないので2元あるいは妄想上の話に関しては本当に何でもいける、たぶんこれがお前超絶清純派なんて嘘だろ!!と言われる所以)しかも何に対して発動するのかは自分でも分からないので普通に生活してたはずなのに気づいたら地雷が爆発してました、みたいなことが起こってしまう。特に何に対して発動するのか分からないという部分、これがマジで不便。

ちょっと具体例を挙げると(実際にあったことを書き並べるのはあまりにもアレだからちょっと話を盛ったり詳細を変えたり妄想を混ぜたりするね)、知っている異性が「セックスしたい」と言っているのを聞いて悲しみ?と深い虚無がごちゃまぜになったような感情に襲われる、でもたぶんその人がTwitterで同じことを呟いていても何とも思わない、何ならその人が実際に誰かとセックスをしてその感想を報告してきたとしても、それが文面でのやり取りか音声でのやり取りかに関わらず笑って受け入れられる自信がある。ドンキのアダルトコーナーに並んでる大人の玩具がたまらなく怖くて直視できなくて、それなのに疑似精液ローションは普通に手に取れる、その紛い物感が面白いとさえ思う。ひとりだと平気でAVを観れるけど同性の友達とAVを観よう、という流れになったらそれがただの楽しいおふざけとしか呼べないようなノリによるものだったとしても逃げだしたくなってしまう。バスでひとつ前の席に陣取っているカップルの片方がほんの少し性的な含みを感じ取らせるような手つきでもう片方の首もとに腕を回した瞬間、息が詰まって反射的に目をそらしてしまう、「首筋を這う性的な含みをもたせた手つき」という概念自体はすごくすきで、それを実際に目の当たりにしたときだってちゃんと魅力を感じているはずなのに、目をそらしてしまう。Twitterに流れてくる、性欲丸出しのLINEDMのスクショを本気で気持ち悪いと思う。こんな感じ。

私は""""無理""""になったときの自分がすごく嫌だ。性癖地雷がなくって、それを特に隠さずに生きてるから「こいつは"イケる"人だ」と思わせてしまうことだってあるはずで、その期待を裏切ってしまうような申し訳なさがあるし、そもそも他人や他人の行為に対して否定的な感情を抱くこと自体すきじゃない。というか性癖地雷がないのに日常生活に潜む性的なものごとの中には地雷があります!!!ってわけがわかんなくてマジで気持ち悪い。そう思ってた。

それでね、さっき唐突に脳内言語化に成功したんだけど。「BLファンタジー」って言葉あるじゃないですか。私、性に関することぜんぶファンタジーだと思ってる。本家の「BLはファンタジーにはBLのご都合描写に対する批判が含まれてると思うんだけど私の言う「ファンタジー」にはそういう意味合いはなくって、非現実性・非日常性を伴うある種の芸術や娯楽作品みたいに感じてる、とでも言えば良いのかな。そんな感じなんですよ。

"天才と凡人についてとか、マトモな人間とマトモでない人間についてとか、そういうこと考えるのがだいすきだけど「自分」概念が地雷みたいなところあるから天才でも凡人でもマトモな人間でもマトモでない人間でもありたくない  ちょっとおイタな言い方すると世界の傍観者になりたいこれはちょっと前にしたツイートのコピペ。もしかしたら「性に関することぜんぶファンタジー」の根幹は「世界の傍観者になりたい」に通じているのかもしれない。

ラブホも夜の歓楽街もちょっぴり退廃的で幻想的なファンタジー舞台、誰かの性体験やAVは素敵なひとつの作品で、私はそれを鑑賞するひとりの客。たぶん、そういうふうに捉えてる。だから性的なものごとが急に「リアル」として目の前に現れた瞬間、私の世界が崩壊してしまいそうな予感がして無理になる。そういうことだ。

こういう理解の仕方が我ながらめちゃくちゃ腑に落ちて、でも同時にそれってつまり他人の性を作品として消費しながら生きてるってことだよな、それは褒められたことじゃない気がするな、という思いも湧いてくる。私はもう何も知らない子どもじゃなくって、大学生で、身の回りの性に関する話題やシチュエーションもどんどん増えてきて、人間だって生き物だからセックスして遺伝子を保存しようという欲求が備わっている個体が大半なわけで、そんな中でぜんぶファンタジーだと思い続けることはきっと不可能だろうし、酷く傲慢な考え方だよな。そう思って苦しくなってしまう。何となく社会に溶け込めていないような、社会から追い出されてしまっているような気分になる。要するに「生きづれぇな」の感覚。でもそのうちふっ切れてどうでも良くなるか、すっかり慣れてしまうかで社会の一員に擬態できるようになるんじゃないの、という楽観的な考えもある。

まぁ、別に鬱を吐き出したいわけでも誰かに理解や救いを求めてるわけでもないからここらへんで終わりにします。セクシュアリティも性に関する価値観も変えようと思って変えられるものじゃないから、「なるようになるさ」としか言えないんですよね。ずっとぼんやりと感じてたわだかまり言語化できただけでも大きな進歩だと思う。もしここまで読んでくれた人がいらっしゃったら、お付き合いいただいてありがとうどんございました。身も蓋もないような話をしてしまって申し訳ない。

いろいろと不便だなぁと思うけど今のセクシュアリティ今ある価値観の中でできる限り今を楽しみたいから、やっぱり目先の目標はラブホにひとりで泊まることですね。ファンタジー作品の聖地巡礼みたいな心持ちで。「ひとりでラブホなんか行って何するの」と言われたから「ドストエフスキーの本でも読もうかな」と答えて、我ながらめちゃくちゃ名案じゃんと思った。

ラブホでドストエフスキーを読みます。

ゴミ

こんばんわっふ〜〜い麺です。
天才と凡人の話をするって言ってたやつ、あれだけは書く書く詐欺に終わらせたくなかったので久々にゴミを生成することにしました。ちなみに過去のゴミたちは焼却しました。ゴミ箱は定期的に空っぽにしなきゃいけないからね!黒歴史にすらなれなかったゴミたち、かわいそう……。

前置き
この世は「上には上がいる」の積み重ねで構成されているので、天才と凡人とを厳密に分けることはできません。個人の信条として、3次元に生きる生身の人間をあれこれ分析してカテゴリー分けすることは控えるべきだという考えがあるため、私を天才と凡人がどうだのこうだのと狂わせている存在はだいたい2次元に生きているキャラクターです。彼ら、キャラ立ちがしっかりしていて属性ごとに線引きがしやすいし。というわけで、このゴミは2次元における"天才/凡人という役割を与えられたキャラクター"について書いていると思ってください。

天才は孤独である
世の中には、マトモな凡人と狂った凡人がいます。ほとんどの凡人は前者です。そして、そのマトモな凡人たちは、天才を孤独にしてしまう存在でもあります。
彼らは天才を天才たらしめている才能ばかりに注目し、その結果自分と天才との間に壁を作ってしまう。自分と天才は住んでいる世界が違うから、と端から関わろうとしない人。ひとりの人間としての天才には目もくれず、天才の才能ばかりに好奇の目を向ける人。天才を神格化して崇める人。天才の才能に憧れ挫折を味わう人。天才と己を比較し劣等感に苛まれる人(これは持論ですが、劣等感というものは特に人を狂わせやすいので、こういう凡人は天才に対してどす黒い感情を抱いたり攻撃的な態度を取ったりしがち)。凡人には理解できないような才能に対し「気持ち悪い」という感想を抱き敬遠する人。
こう書くと天才、かわいそう……という気持ちになるけれど、これは別に凡人たちが悪いわけではなく、むしろ圧倒的かつ絶対的な才能を前にした人間の反応としては正常なものだと思う。ただ、こうした凡人たちの手によって天才はだんだんと「人間ではないもの」になっていってしまいます。ちょっと変な言い方をすると、ヤベー才能に手足が生えただけの何か、みたいな(???)
他にも、抱いた悩みや心のうちを誰にも相談できなかったり(天才は悩み事なんて持たないと思っている凡人は意外と多い)、才能から生まれた思いつきが高度すぎて誰にも理解してもらえなかったり(才能の力により人気者になったけれど喜んで才能を発揮し続けた結果「わけのわからない気持ち悪い奴」のレッテルを貼られひとりぼっちになった天才の話、100万回ぐらい聞いたことある)、様々な理由で天才は孤独になりがちなのです。いいですか???天才は、往々にして、孤独なのです。孤独な天才、大変素晴らしい概念ですね。

狂った凡人は最高だという話
マトモではない、狂った方の凡人についてです。彼らは狂っているので、ひとりの人間として天才を見つめようとします。何度挫折しようと諦めず、天才に憧れ続ける凡人もいます。狂っているので。恐ろしい麺タルの強さ……。
さて、天才と凡人の違いは、才能があるかないか、ということだけです。天才を「ヤベー才能に手足が生えただけの何か」として見たとき、天才と凡人が隣に並ぶなんてことは絶対にありません。でも天才を「同じ人間」として見たら??凡人は天才の隣に寄り添うことだってできる!!!最高!🥳🥳
それから、強靭な麺タルで天才に憧れ続ける凡人。己のせいで何度も傷つき、挫折し、血を流す凡人を眺めることしかできない天才は心を痛めるかもしれないけれど、同時にその狂おしいような憧れは天才にとって一種の重しとなり、放っておけば誰の手も届かないような場所まで昇りつめていってしまう天才を地上に引き留める役割さえ担うようになります。
つまり、狂った凡人は天才を人間たらしめる。狂った凡人は、天才を、人間たらしめる……。私はこれがもうマジで本当にめちゃくちゃ好きなんですよ。わかりますか???凡人から天才に向けられた溢れんばかりの情熱とクソデカ感情。「孤独だったはずの天才と、天才を人間たらしめた凡人」という関係性の熱さ、エモさ。奇跡じゃん。ああこの凡人は天才のことをちゃんと人間として見ているんだな、というのが分かる態度を目にしただけで熱烈な告白か?????と思って情緒がイカれてしまう。

はァ〜〜〜何かよくわかんないテンションになってきたから終わります。クソみたいな文章でご麺なさい、でもこれが書きたかったの。本当はもっと実例とかも挙げたかったんだけどね、時間がないのでやめました。みんなもあんさんぶるスターズというソシャゲをダウンロードして感情をめちゃめちゃにされてね(布教)
はい、おしまい、読んでくださった方いたら、ありがとうどんございました!